Alles Gute zum Geburtstag
「先輩にお願いがあります。」 二人で練習していた休憩中、ふいにずいっと身を乗り出してそう切り出した悠人に、かなではきょとんっとした。 「お願い?」 「はい。」 こくっと頷く悠人が妙に思い詰めたような顔をしていてかなでは更に首をかしげたくなった。 (私、何かしたっけ?) 一瞬自分の素行を回想してしまったが、ここしばらくは特に悠人を怒らせるような事もした覚えはなかい。 つけ加えるならこの悠人のセリフの前はいたっていつも通り二人で練習していただけだ。 悠人もかなでもお気に入りの放課後の森の広場には春の匂いのする風が抜けて気持ちよく練習していた、はず。 ともかく悠人のお願いの内容を聞いてみようと、かなでは悠人に向かって姿勢を正した。 「お願いって何?」 「はい・・・・その、」 頷いたものの、一瞬悠人は言いよどむ。 言いにくい事なのだろうか、と思いつつかなでがヴァイオリンを膝に乗せて待っていると、何かを決意したように悠人がぐっと顎を上げた。 「先輩、来月は5月ですよね。」 「うん。ハルくんの誕生月だよね。」 「え、知ってたんですか。」 あっさりと頷いたかなでに悠人は拍子抜けしたような顔をした。 逆にかなでの方はその顔を見て、ああ、悠人本人からは聞いた事がなかったんだと言う事を思い出す。 (ニアがいろいろ教えてくれるから聞いた気になってた。) ちなみに誕生日はかなり早い内に教えてもらった項目の一つだ。 教えてもらった時からカレンダーに印はつけてあるけれど、恋人同士になって花丸強調で5月のカレンダーを彩っている。 「前にニアに教えてもらったから。」 「ああ、支倉先輩ですか。」 さもありなん、という顔で頷く悠人にかなでは笑った。 「それにハルくんの誕生日だもん。好きな人の誕生日をチェックしない女の子の方が少ないよ。」 「あ、ありがとうございます。」 かなでの言葉にうっすらと悠人は赤くなる。 いつもはしっかりしていて男前なのに、こんなちょっとした言葉で照れる照れ屋な部分もかなでは大好きだ。 思わず緩みそうになる頬を叱咤していると、悠人が仕切り直すように息を吐いた。 「それなら繰り返しになるかもしれませんが、僕は5月2日生まれなんです。」 「うん。」 「それで5月4日は休日ですよね。」 「そうだね。あ、だからプレゼント届けに行ってもいい?」 悠人の言う通り、5月4日は残念ながら祝日なのでどこかで了承を取らなくてはいけないと思っていた事をかなでは慌てて申し出た。 しかしその言葉に悠人はあからさまに驚いた顔をする。 「え?もう用意してるんですか?」 「え?」 「僕の誕生日プレゼント。」 「あ。」 そう言われてかなでは慌てた。 実はまだプレゼントが決まっていなかったからだ。 もちろん、かなでだって悠人の誕生日に向けてなにもしていなかったわけではなく、それどころか1月以上前から休日やら放課後やら隙をみてはプレゼントハンティングに出かけていた。 とはいえ。 (ハルくん、音楽の事以外は結構無欲だから何が欲しいのかわからないんだよね。) と言うのが何回目かに出した結論。 クリスマスあたりから薄々気が付いてはいたのだけれど、悠人はあまり物欲がない。 買い物も主に必要な物を買い足すというのがメインで、それ以外は現代の男子高校生にしては非常に質素だ。 そう以前に指摘したらやけに複雑な顔で「無駄遣いをすると負けた気がするんです」と言われたのが妙におかしかったのを覚えている。 まあ、その時は悠人らしいと思ったものの普段から欲しい物の話などしていなければプレゼント選びは難航するのは当たり前で。 というわけでかなでは折角の機会だし、と素直に白旗を上げることにした。 「ごめん、実はまだです。」 (驚かせられないのは悔しいけど、全然欲しくない物あげるよりはいいかな。) そんな気持ちを込めて言ったつもりだった言葉に、何故か悠人はホッとしたように息を吐いた。 「?ハルくん?」 「あ、いえ。・・・・先輩。お願い、というのはそのことなんですが。」 「誕生日プレゼント?」 「はい。その・・・・」 首をかしげるかなでに悠人は言葉を切って背を向けると自分のチェロケースの中をなにやら探り始めた。 「5月2日は折角休みなので、母達が張り切ってごちそうを作ると言うんです。」 「あ、やっぱり?」 何かを探している悠人を見ながらかなでは小さく笑った。 猫やニワトリまで全部家族という水嶋家の気質なら高校生とはいえ、悠人の誕生日を大々的に祝わないわけがないと思っていたのは間違っていなかったらしい。 「本当にハルくん家は仲良しだよね。」 「そうですね。あ、それで折角作るのだから友だちを連れてこいと言われまして。」 「お誕生日のパーティーだね!」 「そう言われると少し恥ずかしいですが、新も遊びに出てくるらしいので宗介でも呼ぼうかと思っているんです。それでぜひ先輩も来てもらいたいんですが。」 「え?いいの!?」 「もちろん・・・・あ、あった。」 かなでが顔を輝かせた時、捜し物が見つかったのか悠人が何かを持って振り返る。 そしてそれをかなでに差し出しながら言った。 「それでもらいっぱなしというのも何なので、演奏でもしようと思うんですが、この曲を弾いてみたいので先輩協力して頂けませんか?」 「?」 そう言われて受け取った物にかなでは目を落とした。 それはわりと短めの曲の楽譜だった。 二重奏らしく「violin」と「cello」の2パートがかき込まれている。 「セレナードなんだ。でも見たことないかも。」 譜面の上で左手を動かしながらフィンガリングを確認していたかなでがそう言うと悠人は頷いた。 「新しい曲ですから。前、といっても夏に見つけた楽譜なんです。」 「夏・・・・って、あ、もしかして。」 思い当たった事があって作曲者が書かれる場所に目を走らせれば、かなでの予想通りの名前がそこにあった。 「Keiich,S ―― 志水桂一って星奏のOBの人だよね!」 「はい。チェリストでもあるんですけど。」 「夏にメールで教えてくれた楽譜ってこれなんだ。」 去年の全国大会の頃、何気ないメールで悠人が言っていた事を思いだしてかなでは納得したように頷いた。 「それでもし先輩が誕生日に何か贈ってくれるつもりならこれを一緒に弾いて欲しいと思って。」 「え?そんな事でいいの?」 悠人との二重奏なら特別な時でなくても大歓迎だ、と言おうとして、かなではぶつかった青い瞳の真剣な色にドキッとした。 「はい、いえ、そんな事というか、弾いて欲しいんです。」 (二重奏、だよね?なんでそんなに真剣なの?) 真っ直ぐに射貫くように、でもどこか不安そうに見つめられてかなではどきまぎする。 何か特別な曲なのだろうか、ともう一度楽譜に目を落としてみても何か変わったところがあるわけではない。 (でもハルくんがそんなに望んでくれるなら、いいよね?) 戸惑いつつもかなではそう結論を出した。 どっちみち悠人が望む物をあげようと思っていたのだから、悠人の方から強く希望されれば断る理由もない。 「うん、私でよければ。」 「本当ですか!」 かなでが頷いた途端、ぱっと悠人の顔が明るくなる。 その笑顔があまりにも嬉しそうだったから、かなでもつられたように笑った。 「でも本当にいいの?誕生日プレゼントが演奏なんて。」 しかも独奏ではなくて二重奏では大したプレゼントにならないんじゃ、と眉を寄せるかなでに悠人は少し大げさなぐらいに首を横に振った。 「いいんです!というか、本当は1年早いんですけど・・・・」 「?1年?」 「っ!な、なんでもありません!」 意味が分からず聞き返した途端、何故か顔を赤くしてものすごい勢いでかき消された。 「??」 「さあ、そうと決まれば練習しますよ!」 「う、うん?」 よくわからないまま勢いに押し切られるようにかなでは弓を構え。 初見のたどたどしさを残しつつも流れ出したメロディーは、思っていたよりも甘く愛らしい旋律だった。 ―― と、いうような事があって数日後。 「う〜ん・・・・」 かなでは菩提樹寮の共同フロアでヴァイオリン片手に眉を寄せていた。 ちなみに住宅地の真ん中にある菩提樹寮では楽器の音だしは禁止なので、かなでもヴァイオリンを持っているとはいえ小さく弦を弾いている程度だ。 とはいえ、別にかなでは今すぐ練習したいというほどこの曲が完成できていないというわけではない。 むしろ、悠人の誕生日という本番を明日に控えて習熟度は100%を超えているぐらい弾き込んでいた。 ではなぜヴァイオリン片手に楽譜とにらめっこしているかというと・・・・。 (結局、あの最初のハルくんの動揺と真剣さはなんだったんだろう?) ということだった。 最初勢い込んで頼まれて怪訝に思ったものの、弾いていれば何か理由が分かるかも知れないと思っていたかなでだったが、とうとう今日にいたるまであの疑問が解決する事は無かった。 (別に難しいメロディーじゃないし、解釈がどうとか言う事もないし、ただ可愛い曲だけど・・・・) どちらかというと女の子好みっぽい愛らしい曲だ、というのが弾いていての感想ではあるが別にこれといって特別な何かというのも感じられない。 「う〜〜〜〜ん・・・・」 謎は深まるばかりでさきほどよりもさらに首をかしげた、その時。 「何うなってんだよ。」 「あ、響也。」 「如月弟、邪魔をするな。折角面白い表情が撮れたというのに。」 「へっ!?ニア!?いつからそこにいたの!?」 テーブルと楽譜の視界に入り込んできた幼なじみに顔を上げたかなでは、さらに近くのソファーの影から顔をだしたニアに目を丸くした。 その顔にデジカメ構えた親友は悪戯っぽく微笑む。 「いや、君があんまり面白い百面相をしているものだから、つい、な。」 「ついって。」 「だからここで油断してるとあぶねえって前から言ってんだろ。」 「失敬だな。私は危険人物かなにかか?」 「違うとは言わせねえ。」 「あははっ!」 響也とニアの掛け合いにかなでは思わず声を上げて笑った。 もっとも同時に心外だと言わんばかりの顔で睨まれて慌てて引っ込めたが。 「それでなんでうなってたんだよ。」 「え?あ、うん。」 仕切り直すように響也に言われてかなでは頷いた物の、なんと言えばいいかわからず言いよどんだ。 その反応にニアはふっとかなでの前に置かれた楽譜に目を落とす。 「これは・・・・小日向、君はこれを弾くのか?」 「うん、明日のハルくんの誕生会で。」 「なんだよ、誕生会って。小学生か。」 ある意味予想通りな反応をする響也をかなでは軽く睨み付けて言った。 「あ、そんな事言うならハルくんに良かったら響也先輩もって言われたけど、誘ってあげない!ハルくんのお母様やお祖母様のお料理はすっごく美味しいんだから!」 「え”。」 食料が絡んでいるとは思っていなかったのか、かなでの言葉に響也は顔色を変える。 「そ、それはずるいだろ!」 「バカにする人は誘ってあげませーん。」 「ちょっ!かなで!」 同じ食糧難を戦う仲間だろ!?などと縋る響也にかなでがべーっと舌を出した時、そこまで黙って楽譜を見下ろしていたニアがぽつっと言った。 「・・・・いや、やめておいた方がいいだろうな。」 「「え?」」 きょとんっと響也とかなではニアを見る。 そんな二人を見ながらニアは意味ありげに微笑んで言った。 「君はこの曲を水嶋とデュオで弾くのだろう?」 「うん。」 「さしずめ誕生日プレゼントがわりに、と水嶋から頼まれた、とかじゃないか?」 「え!?なんでわかるの!?」 「やはりな。」 目をまん丸くするかなでと、話の流れが掴めない響也を前にニアは満足そうに笑って頷いた。 「さては水嶋はこの曲について君に説明しなかったな。」 「?うん。」 「つか、何かあんのかよ、その曲。」 「・・・・この曲にはタイトルが付いているんだよ。それも作曲者本人がつけたタイトルだ。」 「へえ、珍しいね。」 かなでがそう言ったのは、よくクラシックの曲につけられていつタイトルが後世の後付である事が多いと知っているせいだ。 そして後付でないタイトルが付いている場合には、たいてい何かの意味をもっているという事も。 「何ていうタイトルなの?」 「ほら、ここに書いてあるだろ?」 ニアが指さしたのは、「Serenade」の大きな活字の下に小さく印刷されていた文字列。 「・・・・Ich liebe dich ewig?」 「ドイツ語かよ。」 苦手教科に顔をしかめる響也の横でまるで獲物を見つけた猫のように目を細めたニアが楽しそうに笑う。 「『Ich liebe dich ewig』。水嶋も意外とやるものだ。いや、気が早いというのか。」 「?それハルくんも言ってたけど、どういう意味?」 「ドイツ語の辞書を見てみるといい・・・・と言いたいところだが、君の反応も見てみたいし、教えてやろう。」 もったいぶった言い方にドキドキしながら続く言葉をかなでは待つ。 そんな彼女にニアはたっぷり間を置いて言った。 「Ich liebe dich ewigは日本語で『永久に君を愛す』。 この曲は作曲者の志水桂一がヴァイオリニストの恋人にプロポーズするために書いた曲だ。」 「え・・・・」 (ぷろ、ぽーず・・・・?) 「ちなみに、そのプロポーズは見事成功したらしいが、その恋人も星奏のOGだとかで、星奏では有名な話の一つだぞ?」 二人は知らなかったようだがな、とぽかんっとしている響也とかなでに向かってニアは笑う。 その笑顔にかなでは悟った。 おそらく悠人はその意味を知っていたのだろう、ということを。 要するに悠人は知っていて頼んだのだろう。 自分の誕生日にプロポーズの曲を一緒に奏でて欲しい、と。 『いいんです!というか、本当は1年早いんですけど・・・・』 (あれってつまり・・・・今年17歳だからってこと・・・・?) プロポーズしても17歳ではまだ結婚できないから、1年早い。 なるほど、と納得して ―― 一気に頭が沸騰した。 「え、え、え、え、えっ!!!??プ、プ、プっ!?」 「おお、予想以上の良い反応だな。」 「こら、嬉々としてカメラかまえんな!落ち着けかなで。」 「む、無理〜。」 火が付いたんじゃないかと思うぐらい熱い頬を押さえて沈み込むかなでに、響也はやれやれと肩をすくめニアは楽しげにシャッターを切る。 「ふふ、だからやるな、と言ったんだ。家族の前で恋人とこの曲を奏でるなんてなかなか出来ることじゃないぞ?」 もしかしたら恋敵への牽制も兼ねているのかもな、とちらっと視線を流されて響也は顔をしかめたが幸いそれはかなでには気づかれなかった。 まあ、気づく余裕がなかったという方が正しいだろう。 (嬉しい、けどっ!でもは、恥ずかしいっっ!) 「ど、どうしよう〜〜〜!」 恋人になって最初の誕生日には何か特別な物をあげたいと思っていたのは確かだ。 けれどまさか事前(しかも前日)にこんな話を聞かされて。 「どんな顔して弾けばいいの!?」 もはや悲鳴のような声を上げて楽譜に突っ伏すかなでを見下ろしながら、響也は深々とため息をついて言った。 「・・・・俺、美味い飯は諦めるぜ。」 「それが賢明だろうな。きっとケーキを食べる前に胸焼けするぞ?」 クスクスと笑うニアの声を遠くに聞きながら、かなでは明日悠人に会ったら一体なんと言えばいいのか、という大問題について本気で考え始めたのだった。 ―― Alles Gute zum Geburtstag. Ich liebe dich auch ewig ―― 誕生日の日付に変わってすぐに携帯に送られてきたかなでのメールを辞書片手に訳した悠人が、赤面して携帯を落とすのはその数時間後の事。 翌日、瑞島神社に響いたいつもとはちょっと違う旋律が、それはそれは甘かった、とはウッカリ招待されてしまった二人の後日談である ―― 〜 Fin 〜 |